最初に教えた生徒たちもすでに30歳を超えました。それぞれの人生のミッションに忠実な教え子たち。彼らが活躍する分野は多岐に渡っています。そして、現在、日本にて、ギフティッドと見極められる生徒たちも含めて、色々な子供たちに挑んでいるが、縁が合って出会っているご家族と共に成長していくのは、最高です。
日本では「ギフティッド」という言葉が教育用語にも関わらず、教育現場で知られていない。学校の先生たちも「ギフティッド」という言葉を知らない先生が多い。
だから、ギフティッドと見極められる子供たちは一般のカリキュラムではチャレンジとサポートができないことを知りません。ギフティッドの生徒は、アメリカであれば、担任の先生が気がつくことが多いです。しかし日本だと、ギフティッドという言葉を学校の先生からではなく、医療関係者から聞くこともあるようです。
だから、勘違いしてしまうのでしょう。そもそもギフティッドという言葉は医療用語ではなく教育用語です。医療関係者だと「ギフティッドかもしれません」大抵はそれくらいで、明確な理由も教えてくれません。また、「こういった子供は海外で教育を受けた方が良い」などのような、ほとんどの家族には途方もないアドバイスを受けるようです。
ギフティッドという教育ラベルは、その子にとって、挑んでいかなくてはならないというラベルになるか、また、スティグマになるかは、その子供の教育に必要不可欠なものを理解するかが鍵です。
何が「必要」で、何が「必要不可欠」かというのは明確にしなくてはならない。そして、それは子供の成長とともに変化していきます。
感情知性はプロセス。取り組み。過程。長い期間で磨いていくもの。単発の夏期講習的なものでは、育めない。ギフティッドは勉強や知的なもの意外なチャレンジの方が必要不可欠です。
ギフティッドの子供を育てているのであれば、
Needs vs. Essential ー 必要なのか、必要不可欠なのか。
例えば、感情知性を育むのは必要不可欠。ギフティッドが自尊心や自信を育みながら、自分の才能を探求したり、自分の魅力を探求したり、そして、人生においての幸せは、感情知性が鍵だといっても過言ではありません。
何がEssential(必要不可欠)なのかは、ギフティッドチルドレンだからという物もあるが、それらは成長によって変わっていくので、「見極め続けられている」ということが必要不可欠です。
ギフティッドの子供を家庭レベルで育てていくのは必要ですが、コミュニティーで育っていくのは必要不可欠です。ギフティッドが安心して果敢に挑みを続けられる仲間たちが必要不可欠です。ラベルを貼ったら終わりではありません。
そのラベルの目的は子供に挑むことです。挑むには、ギフティッドを理解し、挑み方を知らなくてはなりません。ギフティッドがどのレベルで挑まれ、そして、どんな成長をしていくかを、ギフティッド教育のカリキュラムから、そして、クラスルームでの経験から知っている必要があります。
保護者たちは、ギフティッド教育や、偏差値の高い学校が必ず子供にとって良いとは考えないことです。また、ギフティッド教育は、ピンキリです。質のよいものもあれば、看板だけのようなものもあります。
偏差値の高い学校が必ずしも子供にとってベストスクールではありません。キーワードは、自分の子供にとって「ベストフィット」大人になる前には「ギフティッドチルドレン」のラベルが剥がれるように、本人が自分の魅力を探求できるように挑みます。このラベルの後ろに隠れている人は誰なのか。素晴らしいのは、その子が「ギフティッド」だからではない。素晴らしいのはあくまでも「本人」だからです。
ギフティッドと見極められたからといって、将来が約束されることは一つもありません。私はギフティッドが持つ才能ではなく、その子たちそれぞれが持つ魅力に釘つけになります。私が興味があるのは、既知より未知。子供たち、保護者もまだ出会えていない一面であります。快適ゾーンの外で冷や汗をかいている生徒を見ると、誰もが意外な結果に驚くことになります。
ギフティッドの多くは「秀才」とは呼ばれないでしょう。「ギフティッド=勉強ができる」わけではありません。それより「風変わりな子」や「奇抜な子」と思われるかもしれない。
「秀才 vs ギフティッド」 まず、「普通」という枠の中には収りません。クラスの中で先生が枠の中に入れようとしても入らないのは、その子もワガママではありません。そもそも、その枠というのはとっても小さい枠だということです。
ギフティッドの子供たちは常識に囚われずに、独創的な発想で考える「箱の枠の外の思考」をします。
しかし、発想は枠の外でも、多くのギフティッドの子供たちは、自らの快適ゾーンの中に留まり、失敗を恐れ、リスクテイカーではないでしょう。リスクテイカーではないので、意外な自分に出会う機会や成長の機会に手をあげない子が多いでしょう。そういった子は成長マインドを育んでいかなければなりません。「できないのは、現在の時点で、努力すればできるようになる。」”Not yet” の哲学です。これも教えることではなく、経験して自分の大切な価値となっていきます。
私達の教え子は一般的な仕事には就かず、自分たちで作るでしょう。遠い場所へ旅をする人になるでしょう。困っている人達に手を差し伸べる人になるでしょう。学歴ベースではなく、情熱ベースで道なき道を切り開いていくことでしょう。
しかし、もっと大切な事はより良い人として育ち、自分のベストを引き出すために必要な感情知性のスキルを身につける必要がある事に気がつき、磨いでいくことでしょう。昔の自分だったら選ばない道を選択し、仲間達に頼ったり、頼られたり、コミットメントすることの大切さを学ぶでしょう。
ギフティッドと見極められる子どもの子育ては、子育て経験がまったく異なる。ギフティッドの「才能」ばかりが注目されると、ギフティッドの子ども、または保護者は不安と恐怖の中で育っていくでしょう。
ギフティッドの生徒たちは、先生にとって、決して優等生ではない。むしろ、先生として鍛えられ、人として見られることでしょう。意味や意義を大切にしているので、色々な指示や伝統に対して「なぜ?」と聞くことが多いかもしれませんが、決して反抗しているわけではありません。あなたの意見が聞きたいだけなのです。議論がしたいんです。魂と魂のぶつかり合いをしたいんです。
ギフティッドの多くは皆さんが思うような「天才」ではありません。しかし、多くは「天才的な」奇抜な発想を持っています。また、ギフティッド自身の魅力を探求する障がいになっているかもしれません。ギフティッドの生徒は一般的なカリキュラムではチャレンジしきれません。
ギフティッドの子供たちは大人びてはいますが、大人ではありません。だからといって、子供時代を奪ってはなりません。ギフティッドチルドレンを早く大人のように扱う必要はありません。子供時代を存分に満喫させてあげましょう。世界に大きく貢献することがあっても、世界を変えることが宿命ではありません。
誰が教えたわけではないが、教わることは既にたくさん知っています。
ここでは、単に「知っている」ということです。
ほとんどの場合、本からの情報であり、経験上知っているというわけではありません。そして、経験もしていないのに、知っているのであれば、なぜ、わざわざ経験しなくてはならないのだろうかと考えるかもしれません。
また、色々な物事が頭の中で完結してしまう子供にとって、実際に経験を通して知識を得るということがどれだけ素晴らしいことなのかを経験を持って教える機会が必要です。
知識のリファレンスを本やネットではなく、本人の経験から話せるようになりましょう。「Don’t tell me how educated you are, tell me how much you have traveled – 学歴より、どんな冒険をしてきたかを教えてくれ」
ギフィティドの子供たちを説明するとき、
「世界のうつりかたが違う」
「脳のワイヤリングが違う」
「顕微鏡のような目と鳥のような目をもつ」
「ウィットに富んだ発言をする子たち」
と説明する人もいます。
ギフティッド教育は英才教育・天才児教育ではありません。ギフティッド教育はエリート教育でもありません。ギフティッド教育は一人とも同じような生徒はいない多種多様な子供たちの秘めた魅力を一緒に探求するための、とっても挑戦的な教育です。
目的は、Awakening Excellence!
まずは、ギフティッドについて知らないと、ギフティッドの子供たちは違うラベルを貼られ、勘違いされ、大人になっていくことでしょう。ギフティッドという教育ラベルはアメリカにおいては義務教育期間の子供たちを対象にされています。
日本では違った子供達をギフティッドと呼んでいないでしょうか。本来のギフティッドたちは、見極められずにいるのではないだろうか。ギフティッドの特徴などを見て、「それってある程度、みんなそうじゃない?」と思う人は、ギフティッドに出会っていないことでしょう。
本当に理解しなくてはならないのは、周りでなく、本人自身です。自分を知り、自分に精通し、自分の魅力を理解しなくてはなりません。しかし、ギフティッドと呼ばれる多くの子供たちはチャレンジされずに、大人になっていきます。
尻尾を出していませんか?
向き合っている情熱にどれくらい没頭してるでしょうか。何時間も時間を忘れて没頭できる。スコップ一つあれば、裏山でプロジェクトが始まります。自分の空想の街を掘っていく子もいれば、本気でHole to China(地面を掘っていけば、中国にたどり着く)と考えて放課後掘ってい好きなものを基礎に快適ゾーンを広げていくことができます。
そして、抜群な記憶力。理由を明確に話せたり、非常に高いレベルで物事の因果関係が理解できたり。科目ごとで学んでいる関連性を話せたり。抽象的思考、または、概念化できる。だから、クラスが一つのテーマで繋がっているIntegrated curriculumなどはギフティッドの子供たちとっては嬉しい。
考え方がとてもオリジナルで、問題解決ができるかどうかは別として、色々な角度から問題解決の糸口となるアイデアを提供することができます。これは、プロジェクトのみならず、友人たちの間でのいざこざも含まれます。
鮮やかなイマジネーションがあるので、読んだ本の映画化には大反対でした。ハリーポッターの本など、あれだけ読み漁っていた生徒たちは、映画は見ていませんでした。自分たちの想像を映画で映像化すると、がっかりするらしいのです。
哲学的なことや社会問題に注目しています。生きることや、死に関して興味を持っていたり。世界で何が起きているのか。地球規模で何が起きているのかに興味があります。 NPRという NHKのようなラジオを朝聞いて学校に登校してきます。今日は、何が世界で起きているのか話し合っています。
答えのない議論をよくしています。「美味しいM&Mのチョコの色は?」とても感情的にも身体的にもセンシティブ。正義感が強かったり、公平性にも高い意識を持っている。大人の矛盾に厳しいです。生徒に「させる」ということは一つもないです。一緒に「取り組む」ということです。「先生だから」「大人だから」という理論は通用しません。子供に求めているものは我々大人も実践していなければなりません。
非常に高い正義感、公平感を持っています。ギフティッドの多くは非常に感情豊かです。自分でもその湧き出る感情に太刀打ちできないこともありますが、世界平和を願う心優しい子が多いです。「なんで、私はこの世界を救うことができないんだろう」と悩んで寝られない子もいます。だから、 Think globaly and act locallyで何がその生徒が住んでいる場所でできることを考えてあげましょう。
完璧主義なところもあります。全部完璧にやりたいというようより、やるかやらないか。できるものは率先してやるが、できなさそうなものはやらない場合があります。それは「できない自分」を受け入れられない子がいるからです。できない事をできないと言えるように。そして、Ask for a help.
とんでもない内発的なモチベーションがあるから、周りから何を言われても実行する面もある。だから、物を与えて何かをさせるという外発的モチベーションは必要ありません。せっかくの内発的モチベーションが消滅します。
単語量が豊富です。年齢以上に向けた本を読んでいます。そして、大人も使わないような単語を活用する。だから、普通のクラスにいると、「変な言葉ばかり使って変な子」って思われるかもしれません。大人に「それってどう意味なの」って聞かれているかもしれません。
などなどなどなど、ギフティッドの子供たちの特徴ではなく、尻尾を出している姿は多様です。
尻尾を出しているのであれば、「この子は挑まれなくてはならない」と考えてください。
ギフティッドに挑むにあたり、必要不可欠なのは、私たち大人が実践して背中を見せているということ。ギフティッドの成長は、親の成長、周りの大人とともにあるということ。
さあ、挑みましょう。
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